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レースへの取り組み

第2章 世界への挑戦 それぞれの想い…。

1989年、F.C.C.の2輪クラッチは国内大手メーカー4社に採用されており、特に国内では、その技術と性能の高さが認められ確固とした地位を築いていた。
そして次なる舞台を世界に向けた年である。

当時は、アメリカのハーレー・ダビッドソンにF.C.C.クラッチが採用されてはいたものの、いざ日本を離れると全くと言っていいほど知名度が無かったという。
ヨーロッパでのこと。「F.C.C.という社名をみて、ゴルフコース?なんて聞かれたものだよ」当時の開発担当者は笑って思い浮かべる。そう、F.C.C.=フジ・カントリー・クラブ。それほど知名度が無かったということだ。

まずひとつ目は、ロゴマークの改善である。
以前は、「F.C.C.」とあるだけのシンプルなもの。誰にも「ゴルフクラブですか?」なんて言わせない、誰もがひとめでクラッチメーカーだと理解できるものをと考え、現在のロゴマークへと形を変えた。デザインは社内のスタッフで全て書きおこした。えっ?と思われる方もいるかもしれないが、これは企業のビジュアル戦略としては非常に大きな意味を持つ。

写真をご覧いただきたい。レースでは、このマークだけが世界中の人の目に留まることになる。マークが一人歩きするのだ。その時にクラッチメーカーだということを同時に記憶されるかどうかがF.C.C.にとって鍵なのだ。F.C.C.のクラッチをつけて走るマシン。そのイメージを焼き付けることこそ世界への一歩の足がかりになる。

もうひとつは、レースによるメディア戦略だ。
レースが企業PRの媒体としての要素を強く持つことは周知のこと。特にヨーロッパやアジアにおいて、そのステータスは4輪を凌ぐほどだ。F.C.C.と TSRは更なるステップアップを目指し、「世界GP」への参戦を決定した。1992年のことである。そしてチームの活躍もあり、その想いは現実のものへと形を変え、戦歴を繰り返す中、世界中のオートバイファン、関係者の知るところとなる。この決断が、今の揺るぎない地位を支えていることは間違いないようだ。

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